一、故郷の後輩からの「助言」
昨夜、故郷に帰って一ヶ月ほど居って帰ってきたある知り合いの人から電話がありまして、家の近くに来たのであって話したいというので、家に来てやと誘ったら、やはり外のほうが良いと言うし、午後ずっと降っていた雨もやんでいたから家の近くの公園で会うことにした。
僕はもう故郷に四、五年も帰ってないので故郷の話を聞こうという気持ちにはやり、早めに会うと約束した場所に行き待ちました。しかし、僕の待ってた話と全然違う話が飛んできたことにびっくりしました。話の内容をまとめてみると、
1、
内モンゴルは大分発展してるよ、特にフフホト市(内モンゴル自冶区の首都)はそうである、たとえば、高いビルいっぱいできてる。(あの高いビルに皆モンゴル人住んでるのかと聞くと、いや、漢人だけど、われわれのモンゴル人はもともと町にいなかったからと答えた)
2、
人々の生活も豊かになってる。特に、私たちのような仕事あった人たちは十分楽で生活をできる、家族の二人で仕事していたら、一ヶ月で一、二回ぐらい友たちらをおごることもできる。もし仕事以外にまた収入があれば、もっといい生活できる。(それでは一般のモンゴル人はと聞くと彼らがもう仕方ないからと答えた)
3、
あなたたちも帰っても大丈夫だよ、特にあなたの奥さんのような人だったら何も問題ないと思う。何もしてないからね!今シネーさん(南モンゴル民主運動家ハダ氏の奥さん)もだじょうぶじゃないか。
4、
帰ってたらいい生活できるからそんな真剣に共産党を反対しなくていいんじゃないか。もちろん口だけだったら何でも言っていいけれどね。私たちも共産党をよく批判しますよ、それは大丈夫だ。しかし、あなたのように「機関誌」まで作って、本気でやるって危ないだよ、あの「機関誌」を出すのをやめてほしい。奥さんと子供のことも考えなくちゃ。
5、
フフホト市のある大学の先生とお会いになり、いろいろのモンゴル人による団体や組織について聞かれて、どんな背景の人もいる可能性があるので、自分があまり知らないと答えたことなどを喋った。
一時間半ぐらいの間ほとんどかれが喋って、僕が聞くことになった。その場で、彼と議論したくなかった。もちろん人はそれぞれだし、彼も僕のことを心配して言ったじゃないかと思ったからである。そうでないかもしれないけれど。
南モンゴルの人たちは中国共産党の支配の下で60年間の苦しんだ。歴史の長い空間で見ると短いかもしれないが、この60年間の短い間に南モンゴル人の丸三代の人々が共産党の洗脳教育を受け、自分が独裁社会制度の中で苦しんでる、また自分の民族が消滅される危機に入ってるのに知らない、あるいは知っても何もしない、自分だけがいけてるなら、ほかの事はもう自分と関係ないと言う思想が彼らの頭にいっぱい。こんな現象は特に前世紀80年代に生まれた若者たち中で現れるのが多い。彼らは自分の民族の歴史に関心を持たない、だから自分の民族の歴史から知ってるのはチンギス ハーンは中国人、中国の英雄であるぐらいといったら少し大げさになるかもしれませんが 、実はそれ以上は本当にあまり知らないのは現実である。彼らのもう一つの口によくする言葉はお金さえあればほかはどうでもいいという拝金主義である。これは彼らの悪いではない、中国共産政府の洗脳教育の結果である。
いくらあれこれ言っても、彼らは共産党のようにわれわれの敵ではない、あくまでもわれわれの同胞であり、兄弟である。彼らはモンゴル人であるのは間違いない以上、彼らに自分たちの民族はどんな民族であったか、どうして今日のような状況になったかということを教えないといけない。独立というのは何を意味してるか、共産党の独裁政権の下での自冶と言うのはどんなことかなどを彼らに教えないといけない。中国共産党の彼らにやった教育と逆の教育をしないといけない。そうするといつか彼らの民族意識は強くなり、いつかはわれわれの力になってくる。
二、ネット上での指摘
「モンゴル人完全自由談話室」という掲示板で15日に「そう」というタイトルで「私は思った」という名前の方が下のように書いてる。
「根を市民の中に置かない個人あるいは団体の孤立するのが早い。人間はいつも正直であり、笑顔である限り友が寄ってくる。団体も同じだ、透明性が無い限りいつの間か腐っていく。最近一連の在日モンゴル人団体の動きはこれを表しているのだ。彼らの行動はさいやくだ。5日のデモについて自連の役員から正式な報告が未だにない。音声不明になっている。(御蔭でネットの時代だから誰かの撮影と文章を見た)、でもこれは自連の報告ではなかった。基金会は13日だったので文章つくりなどで最低でも今週中間には皆さんに報告するんではないかと思う。
運動をやればやるようにやってほしい。組織を作って個人的な亡命に利用するのはあれだな。知ってほしいのはダライラマはチベット亡命政府だよ、言わば国自体が亡命していることだよ。個人とは違うと私は思う。成功しないものをやって個人的なの問題利益を最初に解決するのが私には疑問だらけだ。必要ではない中途判断な組織はモンゴル民族をもっと苦しむ根源ではないか。大陸のモンゴル人に対する監視、政策がもっと厳しくなる火種ではないかと思う。やればやるようにやれ、透明性をもって。やらなかたら早くやめでほしい。因みに私モンゴル人だ。スパイでもないし、幹部でもない。モンゴル人を愛する立場から皆さんに自分の考えと意見を述べたごく普通の留学生だ。」
ここで私の言いたいのは誰がこの記事のをかいたのかを追求するではなく、どんなことを書き、何を責めたかったかということ分析してみたい。
われわれの組織と運動について、建設的な意見を書いて、私たちも勉強になったことがあるけれど、やはり現実と違うというか、あるいは立てた理論と挙げた例の間に矛盾があるではないかと思う。
文のはじめに書いてることは誰も理解できる、承認する理論だけど、例としてあげた自由連盟党の7月5日のデモ行進の報告がないのは透明性がないという結論出したのは不十分ではないかなと思う。なぜならば、この記事出たときには、自由連盟党のウェブサイトのモンゴル語での記事が出てもう五日間になっていたし、漢語で評論も出て六日間になっていたのだ。
それで返事として、ほかの方からモンゴル語で出てるぞと書いたら「私は思った」さんは「モンゴル語をかろうじて読みました。でも我らモンゴル人だけに見せても何もならんぞ。」という返事書いた。もちろん日本に活動する限りモンゴル語だけだったら不十分ではない、しかし、「私は思った」さんの責めたのは最初は透明性のない、報告がないと言い、モンゴル語で書いてると聞くと、今度はモンゴル人だけに見せても何もならないと弁論した。これはモンゴル人の新しい組織の活動を見て、これが不十分だと指摘したかったんじゃなくて、自由連盟党を責めよという気持ちが勝ったのは明らかである。
もう少し言えば、次の指摘もこの立場で書かれたものではないかと思われる。「私は思った」さんの見方は、ダライ·ラマはチベット亡命政府だ。あなたたちは個人の亡命のために組織を作った、「必要ではない中途判断な組織はモンゴル民族をもっと苦しむ根源ではないか」である。
ダライ·ラマ法王の亡命政府は政府自体が亡命したので、個人的に亡命申請する必要がない。しかし、南モンゴルの徳王の政府が亡命しなかったし、モンゴルの独立運動はチベットと性質が似てるけれど、現実の事情が違う。南モンゴル亡命政府は存在しない。アメリカでも、ヨーロッパでも、南モンゴルの独立のため戦ってる人は皆個人の亡命申請している。実はこれは正常ではないか。チベットの例は特別である。南モンゴルの人権、自由、民主のため作られた組織を必要でないとか、モンゴル民族をもっと苦しめるの根源になると見ることはもっと可笑しい。自由、民主、人権は世界の人々の望みであるし、流れでもある。「私は思った」さんの言い方に基づくと、南モンゴル人たちはこのまま中国共産党に支配され、自分たちの伝統経済を破壊され、文化が抹殺され、自分たちの言語で教育を受ける権利奪われ、資源を強奪され、環境を破壊されていってもいいって言うのか。
これでは南モンゴル人は自由と民主を求める権利までもないことになる。これはどちらの味方になるのか。「因みに私モンゴル人だ。スパイでもないし、幹部でもない。モンゴル人を愛する立場から皆さんに自分の考えと意見を述べたごく普通の留学生だ」という「私は思った」さんの言い方を疑うべきである。
三、変わらぬ理念
われわれ南モンゴルの独立運動はチベットとウイグルに比べると立ち遅れのは違いない。しかし、内モンゴル人は幸せ、内モンゴルには問題ないと中国共産党しか言えない。内モンゴルはもっと悲劇的のは事実。われわれの始まったばかりの運動は本当に南モンゴル人のためなら、われわれは本当に自分の根を南モンゴル人の中におけば、われわれは本当に南モンゴルのためという理念を硬く持てば、何でも怖くない。
7月5日の日本初南モンゴル人支援デモ更新は通知が一週間前しか出せなかったにも拘らず、当日にもう二つのデモ行進がありましたのにもかかわらず、それほどの人数が集まった。またもっと感動させることはモンゴル自由連盟党員以外、一般の南モンゴル人留学生が十数人が帰国すれば逮捕される危険があることにも恐れずデモ行進に参加したことはわれわれのしてることは正しかったの証拠である。そして、この十数人の南モンゴル人の留学生たちはわれら南モンゴルの自由、民主と独立のための闘いはきっとも発展していくの象徴でもある。われわれがいくら弱くても、相手がいくら強くて、どのような妨害、阻止があっても、われわれは止められない。われわれの運動は正義だから、自由、民主と独立を求めるのは南モンゴル人の本音だから、われわれの理念は変わらない。
2008年7月30日