モンゴル自由連盟党

 

 

七 大 恨


2011年1月17日掲載

 

  

 

  

ジリガラ

中国政府がモンゴル人にした7つのことー

20世紀初頭、中国は満州人(清朝)の支配から独立するや否や、モンゴルを侵略し始めた。やがて1949年に中国共産党が暴力で政権を獲得し、南モンゴルを植民地として扱い、民族浄化政策を採った。その結果、南モンゴルではモンゴル族とその大草原が滅亡の危機に陥っている。

中国政府に対して以下の「七大恨」を述べたい。

一、南モンゴルを侵略して分割支配した。

南モンゴルのジョスト盟そのものをなくし、ハラチンとトメト地域を河北、遼寧省に分割配置した。ジリム盟全域の半分以上の土地をやはり中国の遼寧、吉林、黒龍江省にそれぞれ分割配置した。このように中国の他の省区に分割配置された南モンゴルの土地は、ジリム盟、ジョスト盟だけで20kmもある。縮小させた南モンゴルに「内モンゴル自治区」という傀儡政府を作り、これもさらに分割して支配する狙いがある。

 

変な中国地図

一、南モンゴルに漢族を入植させた。

中国の省区として分割支配された地域は言うまでもないが、今の「内モンゴル自治区」の範囲だけでも、中国政府の移住させた漢族の数は元来の住民であるモンゴル人より10倍も多くなっている。195060年代に、「支援辺境」の名目で500万もの漢族を南モンゴルに移住させたことを初め、70年代に「文化大革命」、80年代に「改革解放」、90年代に「市場経済化」、2000年代に「西部大開発」など様々な名目で大量の漢族を南モンゴルに移住させた。現在は南モンゴルの政治、経済、文化など全ての権利を漢族が握っている。

 

1911年、1949年と1979年の「内モンゴル自治区」のモンゴル族と漢族との人口変動を比較した図

 

 

一、南モンゴル人に対し大虐殺を行った。

中国はモンゴル人愛国者、優れた知識人、大小の資本家から貧困にあえぐ牧民までをも計画的に殺害した。1911年以降、100万人ものモンゴル人が中国政府により命を落としたのだ。1891年、ジョスト、ジョオダ盟で「金丹道大虐殺」が発生し、17万人のモンゴル人が中国人の「金丹道」という邪教組織により殺害された。19681969年の冬から春の短い期間だけでも、中国共産党は32万のモンゴル人を殺害し、あるいは障害の残る怪我を負わせている(中国の公式統計)。 

一、南モンゴルの資源を略奪した。

中国はまず南モンゴルを「国家木材基地」とし、草原・山間地を覆っていた天然の森林を大規模に伐採した。さらに、ここ30年は「内モンゴル自治区」を国家の食糧生産基地、原料基地、エネルギー基地として資源を奪っている。石炭だけで年間3億トン以上も掘り出しており、さらには大量の鉄鋼、レアアース、天然ガス、金・銅なども採掘している。地下資源が尽き、広がった砂漠以外に何も残っていない状態になればモンゴル人の子孫は生きていく道がないだろう。

 

1952年〜2006年までの内モンゴル自治区の年間発電量と石炭生産量の推移

 

一、南モンゴルの自然環境を破壊した。

モンゴル高原の年間平均降水量は300ミリに満たない。しかも可能蒸発散量は20003000ミリを越える乾燥地域である。年中強い風に見舞われ、とても砂漠化し易い特徴を持っている。しかし、中国は南モンゴルを侵略してから1000haの草原を強制的に開墾し、今日の「内モンゴルの砂漠化」を引き起こした。環境は一旦破壊されると原風景を二度と回復できない。そのうえ、現在では露天掘りによる乱開発と多くの汚染工場設置により、南モンゴルでは人間の居住に適さないと評価される地域が増えている。

 

南モンゴルのアルホルチン旗サインタラに開削された露天掘り

 

一、南モンゴルの伝統文化を破壊した。

遊牧に特徴づけられるモンゴル族の伝統文化は、自然と最も調和し、決して自然を破壊しないもので、草原とも動物たちとも共生する精神に満ちていた。中国政府は、モンゴル人の遊牧文化を中国の農耕文化によって完全に塗り替えた。そして、漢語(中国語)や漢字をモンゴル人に強制し、大切な母国語の文化を捨てさせている。中国政府は1960年代以降、モンゴル人の子供に小学3年生から漢語を学ばせていたが、1990年以降は小学1年生から教えるようになった。漢語を唯一の公用語とし、漢語の出来不出来を能力の基準にして、多くのモンゴル人学校を廃校にした。現在、モンゴル人就学児童の半数以上は漢人学校に通っており、モンゴル語を話せないモンゴル人が増えている。 

 

一、人権弾圧を今なお広げている。

中国政府は「モンゴル地域を砂漠化させた」との無実の罪をモンゴル人に着せ、「生態移民」として故郷から追い出している。また民族意識をもった人々に様々な冤罪を受けさせ、監禁・拷問した。1981年の学生運動における指導者の一人、フチントゥクス氏は2度も禁固刑を宣告された。王建喜氏は数年間刑務所で拷問され、出所するや否や死亡した。モーノホイ氏、オラーンショウォー氏、セデンドルジ氏らは冤罪で長期間刑務所に収監されたり、軟禁されたりした。南モンゴルの民主化とモンゴル人の民族自決権を唱えたハダ氏は15年間も収監され、残酷な拷問を受けた。20101210日はハダ氏が15年間の牢獄生活から釈放される日であったが、中国政府はまだ監禁を続け、妻のシンナさんと息子のウイリスさんをも不法逮捕し刑務所に入れた。さらにハダ氏の釈放される日に際してホーチンフ先生やアラスラン氏ら民主思想を持つ人々を不法に軟禁するなど、中国はモンゴル人弾圧を今なお広げている。 

なお、南モンゴル人たちは中国共産党の考える通りに民族浄化を受け入れ、中国語を喋り、中国人のような素行をしたとしても、自国の国民すら無差別に虐殺する中国政府は自分の国民としてあたたかく迎えてくれることはないはずだ。モンゴル民族が「中華民族」まで成り上がることは無理であろう。生存基盤を奪われ、伝統文化や言語まで失われた南モンゴル人には絶滅する道しかないのだろうか。

 

 

 

 

 
       
 

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