久しぶりの更新ですが、新聞記事からです。われわれ日本人は、いい加減に目を覚ますべきです。
『東京都の石原慎太郎知事は、日本の固有の領土である尖閣諸島を都が購入する、と宣言した。当然の主張であるが、北京の政治家や軍人たちはすぐさま、「漁政」の文字が塗られた粗末な船を前よりも頻繁に日本側領海に出没させるよう対策を取った。また、南シナ海では中国とフィリピンが軍艦を並べて相対峙(たいじ)し、一触即発の状態が続いている。
このような現代の「海洋上のコンフリクト」を東アジアでの中華植民地支配の建立過程と比べると、その根深さと本質が見えてくる。
尖閣諸島近くの東シナ海のガス田・樫(かし)で、中国が強引に単独で開発を続けている。こうした独善的な資源略奪の現象は、内モンゴル自治区など少数民族地域における中国の行動と重なって見える。
モンゴル人の私は、小さい時から草原に住んでいた。1960年代初頭の内モンゴル自治区は牧野が果てしなく広がり、ヒツジやウマが放たれた、のどかなところだった。十数キロ離れた場所に植民してきた中国人(漢民族)が、数家族住んでいた。彼らはいつもモンゴル人とまったく異なる行動を取っていたのが印象に残っている。
たとえば、燃料である。モンゴル人は乾燥した牛糞を燃やす。冬になったら、わずかに枯れた灌木(かんぼく)類を拾うこともある。しかし、中国人たちは季節と関係なく、手当たり次第に灌木を切っていく。しかも、必ずといっていいほどモンゴル人の縄張り範囲内に入り込んで伐採する。
そのような「小さな利益」を貪(むさぼ)る中国人たちをモンゴル人は寛容に放置していたが、ふと気がつけば、自分の草原内にところどころ砂漠ができていた。
降雨量の少ない北・中央アジアでは、植被を失った草原はたちまち砂漠に化してしまうので、モンゴル人は大地に鋤(すき)や鍬(くわ)を入れる行為を忌み嫌う。そのため、モンゴル人は中国人を「草原に疱瘡(ほうそう)をもたらす植民者」と呼んできた。
私の経験は決して個別の事例ではない。
いつの間にか、内モンゴル自治区では先住民のモンゴル人の人口がたったの400万人にとどまり、あとから入植してきた中国人は3千万人にも膨れ上がり、地位の逆転が完全に確立されたのである。
ウイグル人が住む新疆と、チベット人の暮らす「世界の屋根」においても、中国人による植民地開拓のプロセスは基本的に同じである。いざ、人民解放軍が怒濤(どとう)のように侵攻してきた時に、そこには既に無数の中国人植民者たちが内応に励んでいたのである。
中国に一方的に採掘されているガス田の樫は、日中中間ライン上に位置する。「ストロー吸引」により、日本側の海底地下に眠る資源も当然、吸い上げられている。中国の少数民族の政治的変遷を研究している私からすれば、わざわざモンゴル人の草原内に侵入して灌木を切り倒す植民者たちの活動とその性質が共通している。
善良な日本人は「ストロー吸引」を「小さな利益」だ、とかつての純朴なモンゴル人のように気前よく理解しているかもしれないが、「大人(たいじん)」の中国は今や尖閣諸島周辺を自国の「核心的な利益」だと位置づけている。
「核心的な利益圏」は今までに主としてチベットや新疆ウイグル自治区、それに南シナ海について適応してきたが、放置されれば、尖閣諸島や沖縄周辺も住民の人口と政治力の逆転が生じる危険性がある。中国の少数民族の轍(てつ)を踏まないことを切に願っている。』
(産経5月21日 夕刊 楊海英氏)
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