楊海英先生について

モンゴル自由連盟党は静岡大学教授・楊海英先生の著作・活動を支持します。
楊海英先生は南モンゴル出身、モンゴル名はオーノス・チョクト。日本帰化後の日本名は大野旭。モンゴル人数十万人が中国共産党政府により殺害された文化大革命期の研究で知られ、『墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』は司馬遼太郎賞を受賞しました。

2015年1月、東京・神戸で海外の南モンゴル活動家を招き講演会

(クリックするとPDFファイルが表示されます)

2015年1月、東京・神戸で我が党の初代党首ルービン氏(アメリカ在住)と、内モンゴル自民党主席テムチルト氏(ドイツ在住)を招いての講演会が開かれます。「南モンゴルの現状と未来 これからのアジアの民主化運動」と題しての講演会、ぜひお越しくださいませ。


 
東京 講演 1月17日(土)
TKP スター会議室四谷
アクセス:JR 中央線・総武線「四ツ谷駅」
      四谷口徒歩2分 / 東京メトロ丸ノ内線・
      南北線「四ツ谷駅」2番出口徒歩1分
開場:午後1時  開会:1時半
参加費:1000円


神戸 講演 1月24日(土)
兵庫国際交流会館
アクセス:阪急神戸線「王子公園」
      駅徒歩 10 分 / 東海道本線(JR 神戸線)
      「灘」駅徒歩5分 / 阪神本線「岩屋」
      駅徒歩3分
開場:午後1時 開会:1時半
参加費:1000円

19年の拘束から釈放されたハダ氏より、新しいメッセージ動画

12月9日、19年の拘束から釈放されたハダ氏。
それから約10日が過ぎ、新しいメッセージ動画が届いた。

ハダ氏の話

「これからの陳情、起訴するに関するわたくしの考え」
1、15年間の懲役が終了した後、続けて私を4年間不法監禁したこと。そしてこの間、罪を認め思想を捨てさせようと強制したこと。彼らの言うとおりにさせ、協力させようとするため、妻と子供を中傷し、危害を加え、さらには無実にも拘わらず罪を与えたこと。こうした点がわたくしの今回の陳情・起訴の重点です。これは内モンゴル自治区公安庁国保大隊および、内モンゴル自治区政法委員が直接関係して行われた不法な陰謀であります。私は両者を起訴します。

2、私の妻の経営していた書店(が罪に問われた事件)の問題について。内モンゴルの一部の行政機関は彼女を中傷し危害を加えた後、書店を続けて経営することは許可せず、息子が受け継いで経営することも許可しませんでした。これは明らかに違法な行為であります。当局は、私の一家を威嚇し、そして危害を加え続けました。書店の経営問題と本の処分について、(当局は)幾度となく約束を破り、妨害して、故意に圧迫し苦しめました。(言うことを聞けば)家族を存続させるという条件を匂わせながら、いたるところで困らせ、凶暴な振る舞いをしました。さらには、息子のアルバイトする権利まで奪い続け、迫害をしました。

3、(当局は)私を釈放する前、何回も「陳情・起訴することはできる」と言っていましたが、妻と子供に「国内においてだけ陳情・起訴は許す、海外でやってはいけない」と言いました。これと同時に、私の代理の弁護士が海外に行くことを禁じました。また、私が釈放された後でも、私の言動を制限し、マスコミのインタビューを受けたことについて警告し、私の暮らしに迫害を与えました。生活の補助をしないどころか、妻の銀行口座を凍結し、息子が外出してアルバイトすることを改めて禁じました。(先日)インタビューを受けましたが、昨日安全局が弟を呼び「お前の兄を説得して、その思想を捨てさせろ! 彼が何を言っているかを聞き、(ハダが)我々と協力するようにしろ」と脅かしました。協力をしないから、我が家の生活に必要なものも買ってくれないということなのでしょう(*)。牢屋から出てくる前、私に(当局は)「刑務所という狭い牢屋から、社会という広い牢屋に入るだけだぞ」ということをよく言っていました。この十日間の実態を見ても本当に彼らが言ったとおりでした。しかし、こうした状況が逆に、「わが家族三人の存続する権利を、陳情・起訴することによって勝ち取るしかない」という思いを燃え上がらせることになりました。
 
ハダ
2014年12月19日
 
(*)この部分は明言していると言うよりは、ほのめかすようなしゃべり方をしているようである。

南モンゴルの最も重要な活動家の一人、ハダ氏解放か? 現地からの映像(18日、日本語字幕のついた動画を紹介)

南モンゴルの最も重要な活動家の一人であり、その解放がモンゴル自由連盟党の活動の重要目標でもあったハダ氏が解放されたとの情報が9日、南モンゴル現地から入った。
そして12月10日、ハダ氏が4年の“追加刑期”を終えて出所したと中国外務省は発表した。
ハダ氏、およびその妻シンナ女史と思われる人物からの写真・映像も現地から届いている。日本国内の複数のメディアもそれを伝えている。
氏は未だ完全な自由ではなく、当局の監視下にあるという情報もある。



日本語字幕をつけた動画がyoutubeにアップロードされました。どうぞご覧くださいませ。

 
ハダ氏の話(2014年12月9日)
19年間の“不正”は今日をもって終了しました。
19年の間、わたくしに罪を認め、理念を捨てさせるため、当局は私にあらゆる手段を使い、虐待し苦しめつつけてきましたが、私は自分の理念を決して捨てることなく、彼らと戦いつづけて今日に至り、初段階の勝利を勝ち取りました。
しかし、その代わりに重大な被害を受けました。それは主に、妻と子供に無実の罪を与え、各種の圧迫、危害を加え続けたという点であります。また私も虐待され続けたことで、身体が不自由になりました。
 当局は私を釈放する前に、陳情・起訴することができると言っておきながら、これらの権利を制限し、奪うため私を苦しめました。特に、外部のマスコミ、メディアなどの取材を受けてはいけない、親族以外の人と接触したり交流したりしてはいけない等々と繰り返して警告しました。
このように、私は釈放されるというのに未だ犯人のように扱われたわけですが、こうした当局の行為を断固受け入れませんでした。
今後は自分の生活を調え、勉強をしながら、民族への圧迫に抗議し、陳情・起訴する活動をつづけます。
(※12月10日の動画は、以上の文言に加え最後に以下の言葉が入っています。)
全世界のモンゴル人の同胞たちが、わたくしと私の家族を長年応援して励ましてくださったことに心から感謝申し上げたい。
 
シナー女史(ハダ氏の妻)の話
今日は2014年12月9日です。ハダは19年間刑務所に閉じ込められ、今日やっと釈放されました。
わが家族3人はやっと一緒になることができました。
先ほどハダも話しました。今日の彼の精神状態は、以前と比べるとかなり良いと思われます。
19年間の苦難の中で、ハダが牢屋の中で死ななかったことは不幸中の幸いです。これから、しばらくの休養が必要です。
ここで私は、次の三点を強調したいと思います。
1.ハダは民族問題で15年の重い罪を受けました。ところが当局は2010年12月10日に釈放されるはずであったのに釈放しませんでした。当局に追加で4年間、不法に監禁されました。私たちは、まず前の15年間のことは置いても、この4年間の不法監禁に対して、家族としてかならず法律に基づいて起訴します。
2.私と息子はハダのことで陳情(呼びかけ)をしたため、当局は私たち二人も犯人扱いしました。私には不法経営を行ったとして懲役3年執行猶予5年、息子のウイレスには不法に麻薬をもっていたとして罪に問いました。私たち二人も法律に基づいた起訴を行います
3.もし中国が本当に「依法治国」をするなら、わが一家に起きたこの不法な事件は必ずただされるはずです。それとともに、わが一家を破滅に追い込んだ人たちは必ず法の網に落ちることでしょう。

 最後に、私が一家の悲劇が中国で二度と起こらないように。2014年12月9日正午
 
シナー女史(ハダ氏の妻)の話、12月10日の動画
今日は2014年12月10日です。世界人権デーでもあります。ハダが釈放されて2日目であります。私は世界中のモンゴル人同胞たちに自分の意見を述べたいと思います。

1.不正によって19年間牢屋に閉じ込められたハダですが、獄中で死んでしまうことはなく、やっと出てくることができました。実際のところ、周永康が司法を仕切っていたときは、ハダ一人を牢屋の中で死なせるのは難しいことではなかったでしょう。それなら当局はハダ個人を恐れていたのでしょうか。違います。彼らはハダ個人を恐れてはいないのです。しかし、彼らは正義のある世論及び多くのモンゴル人同胞たちが、私たち家族に注目していることを恐れているのです。世界中のモンゴル人の同胞たちは長年、暑い中でも寒い中でも精一杯頑張って、マスメディアを利用してハダとわが家族への注目を呼び掛けてくださいました。だからこそ、国際世論の注目を集めることができました。ですから、私はまず世界中のモンゴル人同胞の長年の応援に感謝申し上げます。
2.ハダは牢屋に19年間も監禁され、心身ともに大きなダメージを受けました。しかし、彼は釈放された後も(当局を)恐れてはいません。勇敢に、メディアへの対応もしています。これはとても大切なところであります。牢屋に入れられることは言うまでもない恐ろしいことですが、牢屋に入れられることを恐れて屈服するのはもっと恐ろしいことなのです。
3.実はハダとわが家族の問題はモンゴル問題の小さな一部に過ぎません。「改革開放」を行って30数年、少数民族のあらゆる階層は新しい困難に直面しています。ですからこの歴史的な時期に、我々モンゴル人はいかにして自分たちのあるべき権利を守るため、効果的に努力し、戦うかは新たな課題であります。民族復活という任務は重く、道は遠いものです。ハダは釈放され、歴史は1ページ前に進みました。しかし、私たちのことから若い人たちは経験と教訓を得ることができるでしょう。最後に、より多くのモンゴルの若者たちが自分たちの夢を追うため、より理性的に、効果的に人生を歩いていただきたいと思います。

【緊急】12月13日予定の「南モンゴル文化促進会」主催 南モンゴル講演会は延期となりました

南モンゴル文化促進会主催の南モンゴル講演会ですが、講師いただく先生の緊急モンゴル出張のため、急遽延期とさせて頂きました。大変申し訳ございません。
既に拡散頂きました皆様には、恐縮ではございますが、この延期につきましても皆様に告知いただければ幸いです。



モンゴル人の近現代史は、中国、日本、ロシア等周辺地域からの評価が多様で実像がとらえにくく、モンゴル人学者たちの見解ですらしばしば評価が分かれる。従って、それらの多様な見解を視野に入れつつ、極力、客観的に歴史を見ていく必要がある。とくに、内モンゴル地域のモンゴル人の人口は、モンゴル国内のそれよりも多いものの、近現代に関する客観的見解が未だに謎のままとなっている。前回の講演では、神戸大学の萩原守先生を招き、南モンゴルの近現代に対する見解をご教授頂いた。今回は、内モンゴル出身の二人のモンゴル人学者を招き、その立場から語られる近現代への見解を学ぶ機会としたい。


ウルゲディ・タイブン

報告テーマ「近代モンゴル人の歴史意識から考える」

1963年生まれ、内モンゴル興安盟ジャライド旗出身。
1985年内モンゴル大学モンゴル学部卒業
2002年大阪外国語大学大学院博士後期課程修了(学術博士)。
専攻:歴史学
現在:内モンゴル大学近現代史研究所教授、大阪大学法学部外来研究員
主要著書―
『牛年の乱』(内モンゴル教育出版社、母語版)2007年
『大モンゴル帝国』(訳著、内モンゴル文化出版社)2009年迟迟叉93
『内蒙古外文歴史文献叢書』(内モンゴル大学出版社)2012年など。
 

ボルジギン・フスレ(昭和女子大学人間文化学部国際学科准教授)

発表テーマ: 20世紀前半の内モンゴル人民革命党について

1989年北京大学哲学部卒。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。内モンゴル大学芸術学院講師をへて、1998年来日。東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会外国人特別研究員をへて、現職。主な著書に『中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(1945~49年)――民族主義運動と国家建設との相克』(風響社、2011年)、共編著『ノモンハン事件(ハルハ河会戦)70周年――2009年ウランバートル国際シンポジウム報告論文集』(風響社、2010年)、『20世紀におけるモンゴル諸族の歴史と文化――2011年ウランバートル国際シンポジウム報告論文集』(風響社、2012年)他。



延期後の時間・場所が確定しましたら、こちらにてお知らせいたします。

主催 南モンゴル文化促進会
共催 南モンゴル自由民主運動基金

連絡 アリチャ 080-3652-0935 deendmordoo@yahoo.co.jp
    アラタンバガナー080-3834-9633 kinzomongol@yahoo.co.jp

またも南モンゴルで漢人のトラックが轢殺事件を起こす

2014年11月8日、内モンゴル自治区アバガ旗(Abag-a Khoshigu)で鉱物を運んでいるトラックが、牧草地で未成年(20歳未満)の馬に乗った少年をそのまま轢き殺すという残酷な事件が発生した。
今から3年前、自分の牧草地を守ろうとした牧民・環境保護活動家のメルゲン氏が残酷な中国人運転手に轢き殺された事件によって、南モンゴル人の怒りが爆発。これに対し、自治区政府が改善を約束していたのは、我々の記憶に新しいところである。
しかし、状況は3年経ってさらにひどいものとなった。南モンゴル人はどこまで我慢をすればよいのか。

中国大使館前での抗議活動・写真

11月9日に行われました中国大使館前での抗議活動です。
当日ご参加頂いた皆様、ご支援・ご協力頂いた皆様、ありがとうございました。

中国大使館前抗議活動のお知らせ(集合場所の誤記を修正いたしました)

中国大使館前抗議活動が11月9日行われます。以下はその告知です。どうぞよろしくお願いいたします。
当初アップロードしたデータに、集合場所の誤記がありました。お詫びして訂正いたします。
(クリックするとPDFが表示されます)


楊海英先生『墓標なき草原』中国語版序文のご紹介

楊海英先生の名著、『墓標なき草原』の中国語版が出版されることになりました。以下は、王力雄先生による序文です。ぜひお読みください。
 



 
中国人(漢人)の必読書-『墓標なき草原』中国語版序文
王力雄(劉燕子訳)

 議論が中国の民族問題になると、漢人*1 の中でも普遍的価値(自由、民主、人権など)をわきまえている知識人--リベラル派も含む--さえ、少数民族の受難を専制政治の災禍*2 に帰して、漢人が広範囲にわたって民族的な抑圧に関与したことを認めないという、ありきたりの漢民族中心的な観点を有している。その常套的な論法は、漢人も同様に専制政治の被害者であり、各民族の間には対立や憎悪はなく、一心同体で民主主義を実現すれば、全ての問題は自ずから解決するというものである。
 しかし、楊海英(モンゴル名、オーノス・チョクト、日本名、大野旭)教授の著書『墓標なき草原-内モンゴルにおける文化大革命の大虐殺の実録-』は、精緻なフィールド・ワーク、考証、多くの体験者の証言により、モンゴル人が受けた被害は、ただ専制政治によるものだけでなく、おびただしい漢人の民衆が政権と一体になり、モンゴル人へのジェノサイドを行使したことを明らかにしている。
 確かに、漢人も専制権力の抑圧を受けていた。文革における漢人の被害を記した文献は大量にあり、証言も同様で、少数民族の苦難より少ないというわけではない。しかし、これをもって漢人が少数民族の迫害に関与したという事実を改変することはできず、また民族的な抑圧の存在を認めない理由にはならない。
 今日でも類似した状況を見ることができる。つまり、新疆の漢人*3 は様々な問題で当局に不満を抱くが、いざ民族問題となると、当局と同盟を結ぶ。それどころか、当局への批判や怨嗟は少数民族に転じ、「押さえ込みが足りないからもっと強硬にしろ」というようになる。新疆生産建設兵団に内地から出稼ぎに来た非正規労働者は、日頃から腐敗した貪官の横暴な搾取に苦しんで、恨みが鬱積している。ひとたび地元当局が少数民族を鎮圧する行動を起こすと、みな激しく興奮し、腕を鳴らし、手ぐすねを引き、勇んで戦いに馳せ参じる。
 漢人が少数民族の迫害に関与した事実は、往々にして専制政治にそそのかされ、操られたためだと解釈されている。しかし、楊海英教授は、確かに無学な漢人流民が「貧農下農中農の毛沢東思想宣伝隊」を組織し、「内モンゴル人民党をえぐり出して粛清する」という大義名分でモンゴル人を殺戮したことは、当局が意図的に組織したものだが、しかし個人の責任を逃れることはできないと述べる。漢人農民が様々な方法でモンゴル人を残酷に虐殺したことは、政府が具体的に計画し、一つ一つ指図したのではなく、数多くの関与者が主体的に「新たに創造した」ことを示している。殺人のサディスティックな快感を得る中で、その心魂はデモーニッシュなものと一体化していた。
 それを事後になって一切の責任を専制政治に負わせている。これは、中国共産党が文化大革命で犯した罪状を全て「四人組(江青、張春橋、姚文元、王洪文)」に押しつけたことと同様である。それは問題の解決ではなく、むしろ真相をカモフラージュしたごまかしである。歴史を反省しなければ、再びそのような状況が到来したときに、同じことを繰り返す。
 世故にたけている者は「残酷な歴史を掘り起こして、民族間の恨みを増さなくてもいいじゃないか。傷口はガーゼでおおってふさぐべきで、露出させてはいけない。お互いに前を向き、もう起きてしまった過去は忘れ、和解を実現して未来に進もう」と忠告する。しかし、実際にはそうならない。加害者は被害者が忘れるようにと望むが、被害者は忘れられない。加害者が口を閉ざして真相を語らなければ、その責任を果たし終えることはできない。被害者の赦しと理解は決して得られない。懺悔も反省もない加害者に対して、被害者は和解を受け入れることなどできないのである。
 モンゴル人が漢人に抑圧されている問題は依然として存続している。楊海英教授は、文革は終息したが、民族的な抑圧は日増しにひどくなるばかりで、その規模は拡大し、ジェノサイドが深刻化していると指摘する。
 二〇一四年、私は自動車で内モンゴル自治区内を数万キロめぐり、全ての盟(盟旗制度で、基層の「旗」の上に位置する)や市を訪れたが、ほとんどどこでもモンゴル人やモンゴル文化は全く見当たらず、まことに憂うべき状況であるお飾りのようなモンゴル風のシンボルがあるくらいで、内地の漢人地域と全く変わりがない。漢人が押し合いへし合いしながら商売に励み、街角では漢人の気配や息づかいが充満している。これほど徹底的なジェノサイドには驚くばかりで、まさに第二の文化大革命を目の当たりにしているようである。それは流血なき殺戮であり、むしろゾッと背筋を凍らせる恐ろしさがある。かつて世界を震撼させた偉大で輝かしいモンゴルは、いずこに行ってしまったのだ? 跡形もなく消え失せてしまった!
 歴史上いかなる時期よりも甚だしく、大勢の漢人がモンゴル文化のジェノサイドに荷担している。今日、内モンゴルの漢人はモンゴル人の数倍になり、モンゴル人は総人口の端数のような存在となっている*4。企業はみな漢人が経営し、市場も漢人が取りしきっている。上は党の幹部やビジネスマンから下は出稼ぎ労働者まで、ガス田や鉱山の掘削から草原の開墾まで、どこでも漢人があふれている。内モンゴルの二千万の漢人の背後には、さらに多くの内地の漢人が様々に絡みあっている。内モンゴルは漢人たちの鉱物資源の場であり、穀倉地帯であり、一攫千金のドリームの地であり、レジャーランドでもある。千年に及ぶモンゴルの文化や生活様式を尊重し、愛惜する気持ちなど一かけらもなく、逆に愚昧で時代遅れだと見なし、嘲笑し、蔑視し、発展の名の下で無情に破壊している。
 今日、内モンゴルの主体は徹底的に植民地化されている。モンゴル国と国境を接した辺境地域にしか、モンゴル的な風情は残っていない。百年にわたりモンゴル人は漢人に圧迫されて後退し、もはや後のない絶望の淵にまで追いつめられている。このモンゴル人の壊滅的な状況に対して、直接・間接的に協力した漢人は事実上の共犯であり、独裁政権と同様に責任がある。ところが、漢人の中でも自由や民主を唱える者すら、しばしば民族的な災禍をモンゴル人に幸福をもたらすものと見なしている。
 今では多くの漢人が中国にはチベット問題や新疆ウイグル問題があることに気づき始めたが、内モンゴル問題はまだ認識されていない。二〇一一年五月、内モンゴル自治区北東部の西ウジムチン(烏珠穆沁)旗の遊牧民、メルゲン(莫日根)は、炭鉱開発業者による環境破壊から牧場を守ろうとしたが、漢人は故意に会社の車で轢き殺した。これに対して、内モンゴルの多くの地域で抗議活動が広がった。確かに当局に抑え込まれたが、しかし、長年鬱積していたモンゴル人の怒りに火がついたのである。いつの日か、モンゴル問題はチベット問題や新疆ウイグル問題と同じように全面的に爆発するだろう。
 メルゲン事件の三年後、私は彼が死んだ西ウジムチン旗を訪れた。草原には巨大な採掘場が広がっていた。鉱物を積載した大型トラックが蟻のように行き来し、鉱石の残滓を山間に廃棄し、草原を破壊し、遙か昔から続いていた大自然は変わり果てていた。偉大なモンゴルの文明も歴史も残滓により暗黒の地底に押し込められた。それはまさに永遠に回復できない災禍だろう。
 もし、中国のリベラル派までこの壊滅的な状況から目を背け、反省せず、改革に着手しなければ、将来、中国を真に民主化したしたとしても、民族的な抑圧は存在し続けるだろう。漢人は民主的な投票では圧倒的多数であり、民主的な手続きを通して少数民族が先祖代々暮らしてきた故郷を占拠して略奪し続けるだろう。阻止しようとする者は、誰でもショービニズムに呑み込まれて消えるだろう。
 それ故、楊海英教授の著書の中国語(漢語)版が、漢人が自らの歴史的な責任を自覚し、また未来の責任も考えるようになるきっかけとなることを希望する。
 このようなわけで、楊海英教授の大著を翻訳した劉英伯氏にとりわけ感謝する。八十歳の高齢にもかかわらず、老年期の光輝を本書に捧げていただいた。劉氏ご自身、文革の迫害で九死に一生を得たが、「我々漢人は本当にモンゴル人に申し訳ない。この負債は返さねばならない」という痛切な思いで、娘の劉燕子氏とともに翻訳された。その真摯で誠実な姿勢は、我々に問いかけている。

二〇一四年八月二九日 北京

付記:『墓標なき草原』漢語版は、八旗文化出版社(台北)より、十一月出版の予定である。 

*1 中国人は専ら漢人を指しているが、モンゴル人、チベット人、ウイグル人なども中国に含まれていることから、中国人=漢人ではない。他方、それらは「中国人ではない。国際政治に翻弄されて、仕方なく中国籍を選択させられた」という見解もある(楊海英『狂暴国家中国の正体』扶桑社、二〇一四年、一七頁。中国の民族問題は極めて複雑で深刻である。
*2 災禍とは言え、その残忍非道は想像を絶し、「殺劫」と呼ぶべきである。ツェリン・オーセルは中国共産党のもたらした「革命(サルジェ)」は凄まじい「殺劫(シャーチエ)」であると指摘している(藤野彰、劉燕子訳『殺劫-チベットの文化大革命-』集広舎、二〇〇九年、序)。
*3 中華人民共和国成立後、初めての民族自治区(省レベルの一級行政区)として新疆ウイグル自治区が一九五五年にできたが、「民族自治」と裏腹に、前年に正式発足した新疆生産建設兵団(屯田兵)の先導で漢人の大量移民に拍車がかかり、二〇一四年には二千万の総人口でウイグル人が九百万(四五%)、漢人が七百八十万(三九%)、他はカザフ人など少数民族という構成になっている。
*4 八年前の二〇〇六年現在、統計上では、総人口二三八六万人で、漢人は一七八〇万(七九%)となり、モンゴル人は四〇四万(十七%)でしかなくなって、しかも周辺の追いやられていた。

11月8日、東京の「東トルキスタン独立記念講演会」にダイチン代表が参加します

 東京の「東トルキスタン独立記念講演会」にダイチン代表が参加します。以下、主催者様のサイトより転載させて頂きます。
 


 11月12日は、かって東トルキスタンが独立を果たした記念すべき日です。1933年と1944年の11月12日に、二つの東トルキスタン共和国は独立宣言をしました。この二つの東トルキスタン共和国はどちらも短命で終わりましたが、中国の圧政下にあるウイグル人にとっては、今でも民族の象徴的な存在であり続けています。

 今年2014年は、11月8日、この日を記念した日本ウイグル協会主催の記念行事を行います。

 今回は、同じく中国政府の植民地支配を受けている南モンゴルの方々との連携をめざし、日本でこれまで持続して南モンゴルの人権問題や民族自決権を訴えてきたオルホドノ・ダイチン氏をお迎えし南モンゴルの現状と、ウイグル運動との連携を訴える講演会を開催します。
中国共産党の支配から脱却するためには、各民族の連帯が不可欠です

 皆様方のご参集及び報道機関の方々のご協力をよろしくお願いいたします。

ダイチン代表

ダイチン代表


オルホノド・ダイチン氏オルホノド・ダイチン氏プロフィール
1966年生まれ。1989年、内モンゴル師範大学モンゴル文学学部卒業後、高校教師を務める。2000年11月に来日。2006年12月、同志とともにモンゴル自由連盟党を結成して、中国共産党政府の圧迫を受けている南モンゴルにおける自由、人権、平等を訴える活動をしている。

2014年東トルキスタン独立記念講演会
日 時:11月8日(土)午後2時開場 2時半開会
講 師:オルホノド・ダイチン(南モンゴル自由民主運動基金 モンゴル自由連盟党 http://lupm.org)
場 所:TKP神田ビジネスセンター ANNEX カンファレンスルーム3A
    (東京都千代田区内神田1-14-10 内神田ビル) http://kanda-kc.net/annex/
参加費:1000円

主催:特定非営利活動法人 日本ウイグル協会
HP:http://uyghur-j.org

ダイチン代表が「アジアに自由と独立を!福岡フォーラム」に参加します

ダイチン代表が10月18日の「アジアに自由と独立を!福岡フォーラム」に参加します。
以下、アジア自由民主連帯協議会サイトより転載いたします。
 



 
「アジアに自由と独立を!福岡フォーラム」
 特定非営利活動法人 夢・大アジアは、平成23 年8 月27 日に設立され、現在特定非営利活動法人(NPO法人)として福岡を中心に活動している市民団体です。福岡はかつてアジア諸民族の独立や中国の民主化のために献身的に活動した多くの志士たちの出身地でもあり、私たち社団法人も今回共催の形でこの集会に参加させていただいております。
 
講師
ペマ・ギャルポ(チベット出身・桐蔭横浜大学教授)
イリハム・マハムティ(東トルキスタン出身・日本ウイグル協会代表)
オルホノド・ダイチン(南モンゴル出身・モンゴル自由連盟党党首)
アシン・ヴァヤマ(ミャンマー出身・四方僧伽ビルマ代表)
チェリーダ・タジェロエンスック(タイ出身・ピープルズエンパワーメント代表)
井本勝幸(福岡出身・ビルマ民族統一連邦評議会コンサルタント)
浦辺登(福岡出身・作家)
 
日 時:10 月18 日( 土) 開場12 時 開会13 時
会 場:都久志会館・大ホール
     福岡県福岡市中央区天神4丁目8-10
     http://tsukushi-kaikan.jp/access/
参加費:1000 円
連絡先:夢・大アジア 電話 092-263-8085
 
共催
一般社団法人 アジア自由民主連帯協議会 特定非営利活動法人 夢・大アジア