楊海英先生について

モンゴル自由連盟党は静岡大学教授・楊海英先生の著作・活動を支持します。
楊海英先生は南モンゴル出身、モンゴル名はオーノス・チョクト。日本帰化後の日本名は大野旭。モンゴル人数十万人が中国共産党政府により殺害された文化大革命期の研究で知られ、『墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』は司馬遼太郎賞を受賞しました。

南モンゴルの最も重要な活動家の一人、ハダ氏解放か? 現地からの映像(18日、日本語字幕のついた動画を紹介)

南モンゴルの最も重要な活動家の一人であり、その解放がモンゴル自由連盟党の活動の重要目標でもあったハダ氏が解放されたとの情報が9日、南モンゴル現地から入った。
そして12月10日、ハダ氏が4年の“追加刑期”を終えて出所したと中国外務省は発表した。
ハダ氏、およびその妻シンナ女史と思われる人物からの写真・映像も現地から届いている。日本国内の複数のメディアもそれを伝えている。
氏は未だ完全な自由ではなく、当局の監視下にあるという情報もある。



日本語字幕をつけた動画がyoutubeにアップロードされました。どうぞご覧くださいませ。

 
ハダ氏の話(2014年12月9日)
19年間の“不正”は今日をもって終了しました。
19年の間、わたくしに罪を認め、理念を捨てさせるため、当局は私にあらゆる手段を使い、虐待し苦しめつつけてきましたが、私は自分の理念を決して捨てることなく、彼らと戦いつづけて今日に至り、初段階の勝利を勝ち取りました。
しかし、その代わりに重大な被害を受けました。それは主に、妻と子供に無実の罪を与え、各種の圧迫、危害を加え続けたという点であります。また私も虐待され続けたことで、身体が不自由になりました。
 当局は私を釈放する前に、陳情・起訴することができると言っておきながら、これらの権利を制限し、奪うため私を苦しめました。特に、外部のマスコミ、メディアなどの取材を受けてはいけない、親族以外の人と接触したり交流したりしてはいけない等々と繰り返して警告しました。
このように、私は釈放されるというのに未だ犯人のように扱われたわけですが、こうした当局の行為を断固受け入れませんでした。
今後は自分の生活を調え、勉強をしながら、民族への圧迫に抗議し、陳情・起訴する活動をつづけます。
(※12月10日の動画は、以上の文言に加え最後に以下の言葉が入っています。)
全世界のモンゴル人の同胞たちが、わたくしと私の家族を長年応援して励ましてくださったことに心から感謝申し上げたい。
 
シナー女史(ハダ氏の妻)の話
今日は2014年12月9日です。ハダは19年間刑務所に閉じ込められ、今日やっと釈放されました。
わが家族3人はやっと一緒になることができました。
先ほどハダも話しました。今日の彼の精神状態は、以前と比べるとかなり良いと思われます。
19年間の苦難の中で、ハダが牢屋の中で死ななかったことは不幸中の幸いです。これから、しばらくの休養が必要です。
ここで私は、次の三点を強調したいと思います。
1.ハダは民族問題で15年の重い罪を受けました。ところが当局は2010年12月10日に釈放されるはずであったのに釈放しませんでした。当局に追加で4年間、不法に監禁されました。私たちは、まず前の15年間のことは置いても、この4年間の不法監禁に対して、家族としてかならず法律に基づいて起訴します。
2.私と息子はハダのことで陳情(呼びかけ)をしたため、当局は私たち二人も犯人扱いしました。私には不法経営を行ったとして懲役3年執行猶予5年、息子のウイレスには不法に麻薬をもっていたとして罪に問いました。私たち二人も法律に基づいた起訴を行います
3.もし中国が本当に「依法治国」をするなら、わが一家に起きたこの不法な事件は必ずただされるはずです。それとともに、わが一家を破滅に追い込んだ人たちは必ず法の網に落ちることでしょう。

 最後に、私が一家の悲劇が中国で二度と起こらないように。2014年12月9日正午
 
シナー女史(ハダ氏の妻)の話、12月10日の動画
今日は2014年12月10日です。世界人権デーでもあります。ハダが釈放されて2日目であります。私は世界中のモンゴル人同胞たちに自分の意見を述べたいと思います。

1.不正によって19年間牢屋に閉じ込められたハダですが、獄中で死んでしまうことはなく、やっと出てくることができました。実際のところ、周永康が司法を仕切っていたときは、ハダ一人を牢屋の中で死なせるのは難しいことではなかったでしょう。それなら当局はハダ個人を恐れていたのでしょうか。違います。彼らはハダ個人を恐れてはいないのです。しかし、彼らは正義のある世論及び多くのモンゴル人同胞たちが、私たち家族に注目していることを恐れているのです。世界中のモンゴル人の同胞たちは長年、暑い中でも寒い中でも精一杯頑張って、マスメディアを利用してハダとわが家族への注目を呼び掛けてくださいました。だからこそ、国際世論の注目を集めることができました。ですから、私はまず世界中のモンゴル人同胞の長年の応援に感謝申し上げます。
2.ハダは牢屋に19年間も監禁され、心身ともに大きなダメージを受けました。しかし、彼は釈放された後も(当局を)恐れてはいません。勇敢に、メディアへの対応もしています。これはとても大切なところであります。牢屋に入れられることは言うまでもない恐ろしいことですが、牢屋に入れられることを恐れて屈服するのはもっと恐ろしいことなのです。
3.実はハダとわが家族の問題はモンゴル問題の小さな一部に過ぎません。「改革開放」を行って30数年、少数民族のあらゆる階層は新しい困難に直面しています。ですからこの歴史的な時期に、我々モンゴル人はいかにして自分たちのあるべき権利を守るため、効果的に努力し、戦うかは新たな課題であります。民族復活という任務は重く、道は遠いものです。ハダは釈放され、歴史は1ページ前に進みました。しかし、私たちのことから若い人たちは経験と教訓を得ることができるでしょう。最後に、より多くのモンゴルの若者たちが自分たちの夢を追うため、より理性的に、効果的に人生を歩いていただきたいと思います。