楊海英先生について

モンゴル自由連盟党は静岡大学教授・楊海英先生の著作・活動を支持します。
楊海英先生は南モンゴル出身、モンゴル名はオーノス・チョクト。日本帰化後の日本名は大野旭。モンゴル人数十万人が中国共産党政府により殺害された文化大革命期の研究で知られ、『墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』は司馬遼太郎賞を受賞しました。

【写真・動画】「文化大革命時代のモンゴル人ジェノサイドの ユネスコ記憶遺産を目指すシンポジウム」

「文化大革命時代のモンゴル人ジェノサイドの ユネスコ記憶遺産を目指すシンポジウム」が9月24日に南モンゴルクリルタイの主催にて東京で開催されました。

 中国の文化大革命時代、南モンゴル(内モンゴル自治区)では「モンゴル人であること」それ自体が弾圧、拷問、虐殺の原因とされました。その犠牲者の数はいまだに明らかになっていませんが、中国政府の公式発表でも約3万人、モンゴル人研究者の中には数十万人が犠牲になったという説もあります。特に、満州帝国時代、日本による近代的な教育を受けたモンゴル人は日本のスパイとみなされ悲惨な運命を強いられました。そして、今も南モンゴルに対する弾圧と環境破壊、そして土地の強奪は続き、モンゴル民族絶滅政策は今も進行中です。  海外のモンゴル人連帯組織「南モンゴルクリルタイ」は、来年、ユネスコの記憶遺産に、モンゴル人虐殺の記録を、当事者の証言、当時の報道、中国政府側の資料などに基づきユネスコの記憶遺産に登録申請することを決定しました。

登壇者  オルホノド・ダイチン(南モンゴルクリルタイ幹事長) 西村幸祐(ジャーナリスト、アジア自由民主連帯協議会副会長) ゲスト:藤木俊一(テキサス親父日本事務局)     野村旗守(ジャーナリスト)


チベット亡命政府ロブサン・センゲ首相との交流

今月9日、インドのダラムサラにあるチベット亡命政府のトップである首席大臣のロブサン・センゲ首相が来日した際、南モンゴルクリルタイ準備委員会の日本在住の一部メンバーとも会い、交流しました。 以下はその写真です。レポートと写真:  S.Hingan #gallery-1 { margin: auto; } #gallery-1 .gallery-item { float: left;
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南モンゴルの人権闘士・ハダ氏の監視がさらに厳しく

ハダ氏を監視する警官

 南モンゴル人権闘士ハダ氏が釈放されてから3か月を過ぎた3月24日、当局より身分書が渡された。当局はハダ氏に、保険などに加入するための申請などができると言ったが、氏はそれを拒否したと自由アジア放送(http://www.rfa.org/mandarin/yataibaodao/shaoshuminzu/ql1-03262015105046.html#.VRTmTdi5j_o.facebook)の取材で書かれている。  実のところ、社会保険や健康保険などを順調に申請するとしたら当局による色々な条件を受け入れないといけない。ハダ氏は、今後海外に行っても、たとえ行けなくても、南モンゴルの将来と利益のために自分の残されている命をささげるとはっきり表明している。  2月にフランスの二人の記者がハダ氏を取材するとして、フフホト市から追い出され、また二人のカナダの記者も同じく追い出されている。

外に出れば、私服警官が

 内モンゴル自治区当局はハダ氏を釈放したが、監視はもっと厳しくなっている。情報によれば3月18日から現在に至るまで、朝8時~夕方10時の間、二人の警察がハダ氏の住んでいるマンションの部屋のある階の階段でイスを置いてずっと見張っていた。ハダ氏がもし外へ出て散歩しようとしたら、外で待っているほかの二人の私服の警察が後ろで見張ることになっている。 …

ダイチン代表が『土地強制収用』と『牧畜民拘束』をチャンネル桜にて訴えました

ダイチン代表がチャンネル桜の番組に出演し、『土地強制収用』と『牧畜民拘束』をチャンネル桜にて訴えました。以下はその動画です。

2月14日・南モンゴル世界同時行動の写真

モンゴル-東京-スウェーデン-大阪の順に並んでいます。 #gallery-2 { margin: auto; } #gallery-2 .gallery-item { float: left;
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南モンゴル牧畜民の逮捕、そして年老いた母と娘のメッセージ……【動画・写真】

ダブシラト(Dabshiltu),39歳。南モンゴルドゥルベド旗牧畜民。北京へ、そして今度はフフホトへ陳情に行き、「旗」に戻ってきたあと、牧畜民達の抗議デモに参加したため、妻のナランホアラ(Naranhuar)と共に警察に拘束された。 写真に写ってるのは86歳のおばあちゃんと娘だ。二人は、「旗」政府に来て拘束された二人の事を聞こうとしたが、政府関係者及び警察は会おうともしない、特に警察は完全無視。まるで人形みたいに立ち並んでいる。 “真冬の南モンゴルだよ、あそこは”     おばあちゃん:この子はまだご飯を作ることもできない、学生だよ。           うちの二人の子はどこなの? わたしを子供達のところに連れて行って、じゃないと、ここから離れない。 孫:私の両親を逮捕して、どうして釈放しないの? なんで夜中に逮捕する必要があるの? 昼間に人ごみの中じゃできないの? 今の今までなんも返事もないし。 おばあちゃん:私は夕べ倒れたときに肩を怪我して、孫に起こしてもらおうとしたけど幼い彼女には無理だった。 …

牧畜民の抗議行動はつづく。ドゥルベド旗につづきソニド右旗でも

2015年1月31日、南モンゴルドゥルベド旗の牧畜民のデモ行進に続きソニド右旗の牧畜民も地方政府前で抗議。警察に弾圧され、現在までに四人ほど拘束されたという情報がある。 そもそもこうした状況は、故郷の草原で安定した生活を送っていた牧畜民達がいろいろな原因によって都市部へと追いやられたことがある。安定した生活も失われ、瀬戸際まで追い込まれた牧畜民。 行く道のない牧畜民達に残された一番正しい道とは、故郷の草原に戻ろうとする行動であるのかも知れない。   #gallery-4 { margin: auto; } #gallery-4 .gallery-item {
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「南モンゴルの現状と未来 これからのアジアの民主化運動」1月24日・神戸講演会速報

南モンゴルで、土地を強制収容された牧畜民を支持するメッセージを掲げる参加者。左端は鎌倉市議会議員の上畠寛弘先生。先生は、牧畜民支援のメッセージを持って頂くという南モンゴル人の依頼に快く応じてくださった。

ドイツより来日された内モンゴル人民党主席・テムチルト氏の講演。力強いメッセージが響き渡った。

モンゴル自由連盟党初代党首・ルービン氏の演説。あいさつは日本語で行われたが、講演は正確性を期すためモンゴル語で行われた。しかし質疑応答では思わず日本語で応答するなど、数年にわたったモンゴル・アメリカの生活でも、日本で学んだ経験が色あせていないことをうかがわせた。


「話し合いを持つ」の約束で牧畜民は北京での抗議活動から帰るも……守られず

先に報じた記事の続報である。   南モンゴルで、土地の強引な収用に抗議する牧畜民が北京へ出発 http://lupm.org/japanese2/?p=790 軍事基地計画による土地の強引な強制収容に抗議するため北京へ直接赴いていた牧畜民は、北京にて「話し合いを持つ」との説得を行われ、それを信じ故郷に戻った。 しかし当局はその約束を守らず、牧畜民との話し合いの機会を持っていない。 #gallery-5 { margin: …

南モンゴルのシリンホト市、ソニド右旗の牧畜民達が地方政府の前で抗議

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