楊海英先生について

モンゴル自由連盟党は静岡大学教授・楊海英先生の著作・活動を支持します。
楊海英先生は南モンゴル出身、モンゴル名はオーノス・チョクト。日本帰化後の日本名は大野旭。モンゴル人数十万人が中国共産党政府により殺害された文化大革命期の研究で知られ、『墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』は司馬遼太郎賞を受賞しました。

南モンゴル大クリルタイ準備委員会通知

 以下は南モンゴル大クリルタイ準備委員会の声明文です。
 日本語訳が完成いたしましたので、掲載致します。


 自由、平等、民主政及び人権尊重は、現代社会の普遍的価値である。我が南モンゴルにおいても数百年にわたる闘争の歴史の中で、自由と平等を勝ち取るために多くの英雄達が鮮血を流してきた。勇敢なる戦士トクトフ、先駆ける戦士ダムディンスレン、誠実なる戦士バボージャブ、牧民を守るため蜂起したガーダーメイリン、そして全モンゴル統一を目指した徳王らは身を犠牲にして奮闘し、志半ばにして斃れていったが、我が民族の闘争は母なる大河シラムレンの滔々たる流れの如く継続している。
 シナ共産党の南モンゴル支配という暗黒時代は今年で68年目を迎えるが、この間、我がモンゴル民族のありとあらゆる権利が剥奪され、殊に主権の喪失は文化大革命期に我が同胞を標的とした凄惨な大虐殺を引き起こし、我々を滅亡の一歩手前まで追い込んだ。
 しかし、シナ人大量移民計画を撤回させた1981年の学生運動を皮切りに、我々の抵抗運動は蘇生し、1995年には南モンゴル民主連盟のハダが真正な自治の実現を要求して立ち上がった。その後、海外では内モンゴル人民党、南モンゴル人権情報センター、青旗協会、モンゴル自由連盟党などが相次いで活動を開始し、過去二年の間には南モンゴル青年連盟、内モンゴル民主党、南モンゴル自由民主運動基金が、いずれも若い世代の人々の手により設立された。今まさに南モンゴルの民族運動は新しい段階に入ったと言えよう。
 昨今の国際情勢を鑑みるに、今こそ南モンゴルの自由民主勢力が協調し、南モンゴルの将来について議論し、力を合わせて運動を前進させる好機である。我が南モンゴルの諸勢力が一たび鞏固に団結すれば、我々の運動は燎原の火の如く広がり、南モンゴルの明るい未来を照らし出すであろう。我々は南モンゴルの人々を他国支配による抑圧から解放し、自決権を回復するための綱領を制定し、我々の伝統文化の継承を擁護し、「先住民族の権利に関する国連宣言」に掲げられた普遍的価値に立脚して民主政による自由で平等な社会を建設するための協議を開始するべく、南モンゴル大クリルタイ準備委員会を設立した。
 我々は全ての同胞が個人または団体として参加することを歓迎する。また、上記の目的に基づき、我が準備委員会は討議を通じて規則を定めるものとする。

南モンゴル大クリルタイ準備委員会
2015年1月28日

 
 
参加団体:内モンゴル人民党、モンゴル自由連盟党、内モンゴル民主党、南モンゴル自由民主運動基金、青旗協会、南モンゴル青年連盟

追記:準備委員会の体制は漸次的に整備される予定である。最初の段階で、我々は各団体及び個人に対して参加を呼びかける。クリルタイが正式に発足するまでは準備委員会が活動を遂行するものとする。クリルタイの議員は民主的に選出される。2015年1月24日に各組織の代表が日本国の神戸において会議を開き、その場において準備委員長が選出され、暫定事務局として数名が推薦された。神戸会議は準備委員会の第一回会議と看做される。委員会に参加する団体及び個人は今後数回の会議を経て体制を整備するものとする。クリルタイの正式発足時に準備委員長及び事務局長、事務局員の地位は自動的に消滅し、新しく選任されたクリルタイの議長及びその他の役職者が事務を遂行する。それまでの間は準備委員会が南モンゴルの将来についての討議を行う。クリルタイの正式発足後、議員及び顧問団は科学的議論を踏まえた民主的意思決定により、組織戦略および活動綱領を定めるものとする。クリルタイの議決を経ていない如何なる宣言及び綱領も、その発言者個人の見解に留まる。

委員長:ショブチョード・テムチルト
事務局長:オルホノド・ダイチン
事務所:東京都江東区大島7-6-6
連絡先:ショブチョード・テムチルト (49)22-1491-9381
オルホノド・ダイチン (81)80-9129-2872
アルチャー (81)80-3652-0935
(欧州)トゥブシンザヤー (420)777-522-803
(米国)ノミン (1)404-988-4573
(モンゴル)チ・ムンフバヤル (976)9914-6533
(日本)テムルン (81)80-3836-8886