2012年10月27日、兵庫県留学生会館(兵庫県神戸市)にて楊海英先生による講演会「故郷の地図に犠牲者を書き込むことの意義 『墓標なき草原』からのスタート」が開催された。
会場には在日南モンゴル人をはじめとして多くの日本人も集まった。文化大革命期のモンゴル人虐殺についての調査という楊海英先生の行ってきた試みについて、その意義、出発点、今後の見通しが語られた。ヒアリング調査もさることながら、中国共産党が自ら出した報告や印刷物などの一次資料をしっかりと集めていくことで客観的な説得力が生まれてくることなど、実践的で重要な説明が為された。
楊先生はとりわけ若い南モンゴル人留学生に対しこの研究の持つ意義を訴え、今後為されなければならない仕事について軽妙かつ真剣に述べた。南モンゴル史において満州国における日本主導の教育が果たした役割など、日本人にとっても興味深い講演であった。
(楊海英先生のプロフィールなどについてはこのページ左にある「楊海英先生について」をご覧下さい)
(以下は講演会の告知ビラに掲載されていた、劉燕子先生による楊先生の紹介文です)
『続・墓標なき草原』は、第一四回司馬遼太郎賞を受賞した『墓標なき草原』全二巻の続編であり、三巻を合わせると約九〇〇頁に及ぶ大著である。楊海英氏は中国・内モンゴル自治区の文革期におけるモンゴル人大量殺戮(ジェノサイド)を生き抜いた貴重な証人の生の声を真摯に聞くとともに、文献資料と照らしあわせて検証し、想像を絶する被害の実態を明らかにしている。楊氏はまた『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料』を二〇〇九年から毎年公刊し、これまで計二七〇〇頁に及ぶ膨大な資料を提出している(今後も続き全一〇巻の計画)。まさに正続『墓標なき草原』はこの精緻な基礎研究に基づき、歴史の暗闇に葬り去られた史実を明らかにしたものである。私は漢民族の一人としてこの残忍極まりない史実を知し、痛切な罪責感に打ちのめされたが、良知とは何かと子細に深く考えなおす契機(モーメント)となった。
本書終章は、文革期の身体的ジェノサイドに加えて、現在ではモンゴル人は「ネーション」ではなく「エスニック・グループ」であるなどのレトリックが使われ、民族の精神的絶滅まで押し進められるという「文化的ジェノサイド」の実状を剔抉している。歴史の真相究明、謝罪、賠償に逆行して史実を隠蔽するどころか、ますますジェノサイドを徹底化しているのである。そして、これは中国現代史における本質的な問題の現れなのである。何故なら、チベット人女流作家ツェリン・オーセル氏は写真、証言、史料に基づきチベット文革を永遠に回復できない程の被害という意味を込めて「殺劫」と概括するなど、他の民族でも被害は甚大で、今もなお深刻な禍根が残されているからである。
そして、私はシンボルスカ(一九九六年ノーベル文学賞受賞)の詩句を想起する。「言葉は涙の底に落ちていった」というように、暴力に対して言葉は無力のように見えるが、しかし言葉は「死者を呼び戻」すこともできる。そして正続『墓標なき草原』の言葉一つ一つは虐殺された死者を甦らせ、ジェノサイドを証言せしめている。それを可能にしたのは、確かな基礎研究に裏づけられた強靱な底力であり、だからこそ、楊氏は悠揚と「坂の上の雲」は「確実にモンゴルの青空の上を美しく飛んでいます」と結んでいる。このようにして、読者は身体的・精神的ジェノサイドを凌駕する強靱かつ健朗な精神に励まされ、無数の残虐な暴力を乗り越え、記憶のモニュメントを現代史に構築できるという確信を得られる。さらに、楊氏の独特の悲哀を漂わせた雄勁な筆致には、大草原で育まれた血脈ならではの気高く骨太な風格があり、その力強いメッセージは読了して終わりというものではない。この意味で、本書は時効のない人道に反する犯罪を裁くべく将来開かれる法廷の「序章」であることが分かるだろう。まさに、本書は絶望的な暗闇に光を織りなし、読み継がれていく歴史に残る良書である。